西院昭和風土記より |
日本一?の西院の神輿 米川安國 |
「さい三千石」とは、長老からよく耳にした 言葉である。これは愛宕(おたぎ)、葛野、乙訓、久世、宇治、紀伊、綴喜、相楽の山城八郡三四ヵ村中で、二、八七八.八の石高を誇っていたことから由来した言葉である。 こと神輿に関しては、何処の村人も、「うちの神輿は立派や、日本一や」とおもっている。だから、あまり客観的なものの見方はしない方がよいのかもわからないのだが、しかし、やはり祖先の残してくれた文化財については、それなりの顕彰をしなくてはならないとも思う。 「さい三千石の神輿や、よその村に負けられるか」そして金を掛け、手を掛け、客観的に見て日本一?の価値ある神輿が現在に引き継がれたのである。 「なんであんな立派な神輿を作ったんや」と祖先と対話できたら、恐らく、こんな答えになるような気がする。 「それはな、西院三千石という村の誇りを具体的な型として現わさんといかんやろ、その村の誇りが村の活力を生むものや、それとな、神輿は村の宝や、個人々々の物も大切に守らんとあかんけど、村の宝も同じように、立派に皆で守りぬかなあかんね、守りぬけん様になったら、西院三千石や言うて誇りに出来ひん」守りぬく事は大変な重荷を背負わされたことになる。だが、祖先の心意気を感じて頑張っていかなくてはならないとおもう。 願わくば神輿に対する誇りが、西院の誇りとなり、永遠に誇るために、活力ある西院を持続発展させていきたいものである。 「まつり」は単なる祭りであってはその意義は半減してしまう。「まつり」の波及効果こそが大切であり、波及効果を如何により大きくするかを考えなくてはならない。 |
京都神輿愛好会